境界性人格障害

1 歴史

 borderline case 「境界例」という言葉が最初に使われたのは1930年頃です。その時は、神経症と精神分裂病との境界という意味でこの言葉が使われました。
 1960年代の後半以降、境界例は人格障害の一つであると考えられるようになり、「境界性人格障害」の名で、DSM-V(精神疾患の診断基準)の中に載るようになりました。現在のDSM-Wでも、それは受けつがれています。

(よく、境界性人格障害の「境界」とは正常と異常の境界という意味だと思っている人がいますが、それは間違いです。上記の通り、神経症と精神分裂病との境界という意味です。ただ、今はそういう考え方はしないので、本当は「境界」という言葉も使うべきではないのかもしれませんが、なぜか言葉だけ生き残っています。)

2 特徴
1 見捨てられ不安
 現実に、また想像の中で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力。見捨てられ不安はしばしば衝動的な行動として表れやすい。

2 不安定で激しい対人関係
 対人関係の変化の落差が大きい。「良い」と「悪い」に分裂した対象イメージ。表面的な対人関係と激しく退行した対人関係との間を揺れます。

3 同一性障害
 上の1、2により、同一性の混乱が引き起こされます。

4 衝動性
 衝動性は自己破壊的な行動として表れます。

5 自殺の脅し・そぶり・行動・自傷行為
6 感情の変わりやすさ
7 慢性的な空虚感
8 不適切で激しい怒り
 怒りと抑うつ。憂鬱で不快な気分と同時に、何をやっても満足しない退屈で空虚な気分があります。

9 一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離症状
 一過性に精神病(分裂病)のような症状が出ることがあります。また、重篤な解離症状は、幼少期に受けた虐待と関連があります。

参考:『臨床精神医学講座 第7巻 人格障害』中山書店、1998年

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 なお、ジュディス・ハーマンは、境界性人格障害は児童期に受けた慢性的な心的外傷によるPTSDであると考えている。
 詳しくはハーマン『心的外傷と回復』のレジュメをどうぞ。
 

 ところで、約20年前に、神田橋條治という有名な精神科医が書いた、境界例の治療についての文章の中に、とても印象深いことが書かれているので引用してみたいと思います。
(今だったら神田橋氏も違うことを書くかもしれませんが。)

「5.境界例治療の副産物
 境界例患者とのつきあいには、心地よい瞬間は、まったくといってよいほどない。苦い味わいは、多種多様にある。しかも、確たる実りが得られることはまれである。治療の多くは、尻切れトンボに終わる。治療者としての技術の向上といえば、せいぜい、はなばなしい現象の起こらない『沈香も焚かず、屁もひらず』といった状況を、長期間維持する技術が身につくにすぎない。新しい認識や、新しい考えが芽をふくことがあっても、理論とよべるほどに育つことはない。無理に育てると奇形児となる。試みに境界例に関する諸理論を概観してみると、そこに、つねに、『苦しまぎれ』の匂いが漂っているのを見いだすことができる。そうした事情を、次のように要約することができそうである。『境界例の治療に従事すると、自分の内部に、不安定と破壊とがもたらされる』と。これが境界例治療の副産物である。
 夏ミカンの皮をみる立場の治療者も、内部構造に目を向ける立場をとる治療者も、等しく破壊的影響を受ける。それどころか、皮をみるとか、内部をみるとかいうその立場さえも、破壊されかねない。しかし、破壊がさらに進み、破壊されることは、有害で不快なことであり、避けるべき体験であるという価値観までも破壊されると、破壊されるということと新しいものを得るということとは、同じ事象の両面であるというような考えが芽ばえたりする。そして、境界例患者との苦い味わいが、キラキラ輝く充実した体験のように感じられてきたりする。しかも、そうした充実感を現実と感じつつ、同時に、幻想が現実より価値が低いとはいえまい、と呟いたりするようになってくる。境界例患者に、何か役だつ他者として機能しようと願いながら、つきあいを続けてゆく人には、必ずそうした変化が生じてくると、筆者は感じている。そして、その変化は、何か、豊かな方向への変化である。少なくとも、捨てがたい点があると感じている。おそらく、人の精神の問題にかかわる職業を選択した人々の、その選択の基盤にある動因と関連させたとき、捨てがたい価値あるいは富を生じてくるであろう。どうも、そんな感じがする。」

『現代精神医学大系 第12巻』(中山書店、1981年)より
 
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